sapochiga-LUSCA'S diary

ラスカ茅ヶ崎の空きスペースを活用して、人が出会う場、交流の場、市民の魅力発信の場になるよう、さまざまな情報を発信してまいります。

茅ヶ崎の風に癒された芸術家たち 茅ヶ崎の風になった画家  ~萬 鉄五郎~

本日は、ラスカ茅ケ崎4階C-Squareでは、ちがさき丸ごとふるさと発見博物館の会の皆さまによる「茅ヶ崎の風に癒された芸術家たち ~萬 鉄五郎~」のミニ講座が開催されました。

会長の加藤様が3階入り口でチラシを配布されていました。

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講師は茅ケ崎ガイド倶楽部でもご活躍の増田知子さんです。

萬 鉄五郎の年譜と作品を東京時代、茅ケ崎時代に分けて分かりやすく説明されました。

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萬 鉄五郎は結核、神経衰弱となって34歳の時に茅ケ崎の南湖へ、茅ヶ崎の風に癒され順調に回復し1年で復帰、そして南画に傾倒、春陽会に多数出品と茅ケ崎で満喫の生活、しかし、昭和元年長女が膀胱結核で死去、そしてその翌年、萬鉄五郎は結核性カタルから肺炎を併発し41歳(大正8年~昭和2年)で死去。娘さんが先に亡くなり、そのご両親の悲しみはどれほどのものだろうかとその悲しみ の深さを考えグッと来てしまいました。

今日は、萬鉄五郎の作品を沢山拝見しました。ピカソ調の作品も数々。ポスターの肖像画も講師の増田知子さんが書かれたものです。実際は茅ヶ崎の海がバックになっているそうです。当時の水着は女性はワンピース型、参加者の方で当時の事をご存じの方がいらっしゃっていました。水着の時も足には足袋を履いていたとのこと。貴重なお話にびっくりです!

興味深いお話しも沢山あり、笑いのある楽しい講座となりました。市役所の社会教育課の職員の方もいらっしゃっていました。会の皆さま、大変お疲れ様でした。勉強になりました。ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <ウィキペディアより抜粋> 萬 鉄五郎は明治18年生まれ、大正~昭和初期に活躍した画家。 明治40年(1907年)、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。明治45年(1912年)、萬は、その頃日本に紹介されつつあった、ポスト印象派フォーヴィスムの絵画にいち早く共鳴した。特にフィンセント・ファン・ゴッホアンリ・マティスらの影響が顕著である。黒田清輝らのアカデミックな画風が支配的であった日本洋画界に、当時の前衛絵画であったフォーヴィスムを導入した先駆者として、萬の功績は大きい。晩年は日本画の制作や南画の研究も行った

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ コーディネーター

NPO法人NPOサポートちがさき

さぽちがラスカチーム 堀江貞子(記)

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